「奇門遁甲」(きもんとんこう)の歴史(*^_^*)
「奇門遁甲」(きもんとんこう)は、
古代中国で生まれた方位術と言われております(^^♪
占いではなくて・・・
兵法(へいほう)の一つとして戦争などに使用されていたそうです(^-^;
伝説によれば、周(しゅう)の時代の軍師であった
太公望呂尚(たいこうぼう・りょしょう)や、
三国志(さんごくし)の時代に活躍した、
諸葛亮孔明(しょかつりょう・こうめい)などが、
この占術(せんじゅつ)を用いて・・・
自軍を勝利に導いたと言われております(^.^)/~~~
この方位術が日本に伝わったのは・・・飛鳥時代と言われております!
「日本書紀」には、第40代・天武天皇(てんむてんのう)が、
「奇門遁甲」(きもんとんこう)を用いて”壬申(じんしん)の乱”(672年)
の行方を自ら占ったという意味のことが記されているそうです(*^_^*)
飛鳥時代以後の日本で、「奇門遁甲」(きもんとんこう)が
どのように用いられたか、詳しいことは・・なぞのようです(^-^;
一部の占術師(せんじゅつし)のみが、
一子相伝(いっしそうでん)によって
秘密裏に継承(けいしょう)していったのかもです・・(?_?)
しかし・・僕の師である”小野十傳(おのとでん)先生”が
調べたところによりますと・・
日本史上では、「奇門遁甲」(きもんとんこう)によって・・
大きな決断が下されたとしか考えられない事件が
何度か起こっているそうです!(^^)!
その一つが・・「平安京遷都」(へいあんきょうせんと)だそうです!
784年、第50代・桓武天皇(かんむてんのう)は、
都を平城京(へいじょうきょう)から
長岡京(ながおかきょう)に遷(うつ)した(*^_^*)
ところが・・それからわずか10年後の794年に、
突如として「平安京遷都」(へいあんきょうせんと)を・・
断行したそうです(^-^;
では・・いったいなぜ、10年という短い間に2度も
「遷都」(せんと)をしなければならなかったのか(。´・ω・)?
これは、日本史上の大きな謎とされています!
この謎をめぐって、水陸交通の便説、
渡来人である秦氏(はたし)の財力説、
仏教勢力の切り離し説、
さらには怨霊説などが、取りざたされているが、
どれもいまひとつ説得力に欠けるそうです(^-^;
ところが・・十傳(とでん)先生が「奇門遁甲」(きもんとんこう)で解くと・・
ピタリと回答が導きだされました(*^_^*)
この内容の詳細は・・・学研から出版しています
”小野十傳(おのとでん)先生”の
「奇門遁甲術入門」(きもんとんこうじゅつにゅうもん)
に細かく記載されていますので、
ぜひ興味のある方はみてくださいね(^^♪
簡単な説明ですが・・「奇門遁甲」(きもんとんこう)には、
このような歴史があるんですよ(^.^)/~~~
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