ひがん(悲願)
悲願と聞くとオリンピックやスポーツ番組などで、こんな言葉聞きませんか・・
「悲願の初優勝~」とか「悲願の金メダル獲得!!」など、
全身全霊で望む悲壮な願いのことを言いますよね(^-^;
仏教の言葉で「悲願」とは、悲壮な願いではなく
「仏さまの大慈悲心による願い」の事を言うそうです。
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と称える者は皆、漏らさず極楽浄土に救う」と言う阿弥陀様(あみださま)の悲願をご存知でしょうか?
阿弥陀様は、この願いを成就して阿弥陀如来(あみだにょらい)となったそうなんですよ。
だから「南無阿弥陀仏」と称えることによって、極楽往生を約束されているみたいですよ(^O^)
とは言いながらも・・???
それは、あり得ないですよね・・・((+_+))
どう思いますか(。´・ω・)?
人を幸福にする人も不幸にする人も一緒なんでしょうか?
人を喜ばせてお金を頂く商売の人も人を騙してお金を奪う詐欺の人も一緒なんでしょうか?
僕は、違うような・・・気がします・・・
やはり、自分も含めて自分の近い他の人が幸せになるように願うことや行動する事が大切だと思いませんか?
そういう気持ちを持ちながら「南無阿弥陀仏」と称えるほうが、
救ってもらえるような気がしませんか(^-^;
ディスカッション
コメント一覧
南無阿弥陀仏と称える人には、多少なりとも良心がある…だから、阿弥陀様が救ってくださる。
と、勝手に解釈しています。
周りの人たちの幸せを願うことは大切で 素晴らしいことです。
誰でも 優しい人が近くにいてくれたら嬉しいですよね。幸せですよね。
……このブログを見ると心が穏やかになります。
精壱より➡
多少なりとも良心がある・・・確かにそうかも知れませんね!
僕は周りの人たちの幸せを願う=自分も幸せになると思っています(^.^)
なので、優しい人になれるように心がけています・・・が、なかなか難しいですよね(^-^;
いつもコメントありがとうございます(^-^)
とても心強いお言葉・・・励みになります!(^^)!